「気づき」は、他人からの嫌な言動や行動から

誰もが少なからず持っている、認められたい願望や虚栄心。 見栄っ張りな人は、人から評価されたいと望み、自己中心的であると考えられます。

知名度や賞賛を求め、自分の要望が叶うことだけを望みます。 人より優位に立ちたいという思いが強いために、自分よりも下と見なした人をバカにし、自分にとって有益だと思う人には、過剰に気を使って賞賛します。 yun_661 そして、身内や部下、身近な人には、自分勝手な行動や考えを押し付けてしまい、感謝の気持ちがほとんどありません。虚栄心の強い人は、他人が自分のためにしてくれることを望みます。

 

・・・と、誰でもが少しは当てはまりそうなことですが、自分はそうではないと思っていることでもあります。私たちはこういった自分の弱点を、相手を通して見つめるために生まれてきています。気づきを得ることで魂は成長して、この世に生まれてきて勉強する課題を一つづつクリアしていくのです。

 

私は違うから大丈夫!と、自分には関係ないと思うこと自体もエゴなのだそうです。魂は、他人の行為を通して自らの行為に向き合い、気づくことで自覚させようとします。   他人から受けた不快感は、自分も与えてしまっている可能性が高いのです。その過ちから学ぶことができれば、魂は成長することができるのです。

yun_3119 「相手の立場に立つ」というのは、他人からの嫌な言動や行動に直面した時に、もし相手の立場であれば同じ気持ちになったかもしれないということを理解することにあると思います。それが、気づきなのでしょう。

 

見栄っ張りな人は 、自分に値すると思っていた注目が得られない場合には、いかなる手段や代償を払ってでも、注意を引こうとする。この欠点が顕著に顕れると、そのネガティブな息詰まる波動で周りの人びとが消耗してしまう。

これが、彼らには知人は多いのに、余り友人ができない理由だ。誰も何もせず自分だけがどれほど頑張っていることか、としょっちゅう自慢するにも関わらず、努力が要ることには直ぐに飽きて、他者に責任を負わせようとする。 他者の賞賛や慈しみ、成功や信任を得ることでは、絶対に幸せになれ ない。

自分の人生に不満足で、孤独感や虚無感があるとしたら、不幸の原因を外部に探さないことだ。原因は外にあるのではなく、自分の中にあるからだ。 満ち足りることは絶対にないので、他者の火で暖まろうとしてはいけ ない。

他者が君のためにしてくれたりしなくなることに自分の状態が左 右されないように、自分自身の炎を起こしなさい。 利己主義は脇に置いて愛しなさい。内面の虚無感を満たす唯一の方法は、無条件に愛すことなのだ。

( 『魂の法則』 ヴィンセント・ギリェム著より) 

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