死生観

先日、「あの世に逝く力」と言うセミナーに参加してきました。
間質性肺炎で、余命宣告をされている方の講演でした。間質性肺炎は、癌と違って完治することはないそうです。進行を遅らせることはあるのかもしれませんが、その方は余命は2.5~5年だと言われていました。

「死」を見つめるようになると、健康な人が見ている「死」とは、違うことが分かってきたそうです。人は人生で一度だけ死ぬチャンスがあり、それをいかに迎えるかと言うお話をされていました。happy_death

死ぬ人には3通りあるそうです。
まず、死が遠ざかる人、死ぬことを言わなくなる人。そして、死ぬことを認めない人。私は死なないとがんばる人。最後に、死にたい、もうダメだと落ち込んでしまう人。

 

死をきちんと受け止められない人が多いと言われていました。与えられた人生のプログラムなのに、計画を立てて取り組んでいる人がほとんどいないとも・・・

 

健常者の死生観は、死を美化し、タブーとし、命は何よりも尊いものとし、死を諦めてはいけないものとしている。健常者は、「為せば成る、人生ならぬは為さぬなりけり」の精神が基本にある。健常者側は結構前向きに考えているのですね。健常者が考える「死」は、当事者ではないから、間違っていることもたくさんあり、がんばれ!と言うことで追いつめて行ってしまう。

 

死に行く者は、前向きにすべてを考えられるわけではなく、本当の気持ちをどこかに追いやられてしまうのだと。死ぬなんて言ってはいけないと言った空気感・・・・
でも、死を了承しないとうまく死ぬことはできないと言われていました。

真実に基づいた「死の準備教育」が必要だと話されていました。

 

自分は健常者側の人であり、死にゆく人を見守ってきた側ですが、わかっていなかったことがたくさんあったのだろうと考えさせられました。

 

「死」は、健常者側も死にゆく人の側にも、両方の理解が必要だと思います。
どちらもまともに向き合うことなく、考えてはいけないことだと、心の中では思っているのかもしれません。やっぱり経験していないことですから、誰もが怖いことなんでしょうね。

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死んでしまったらどうなるのだろう・・・と、子供の頃に考えたことがありました。
考えてもわからず、どうなるかの不安ばかりが先にきてしまいました。
それは大人になった今でも同じで、経験していないことなので不安が先に来ますね。
ですが、身近な人の「死」に向き合ってきた結果、死にゆく人の気持ちや、見送る側の気持ちを考えるようになったのも事実です。

 

セミナーでは、延命は生きている人の満足であると言われていました。1分1秒でも長く生きてほしいと考えるのは当然のことかもしれませんが、お金を使って命を伸ばすだけなら、本人はつらいだけではないのかと。さっさと死ねることも大事なことだと。生きている時に踏ん張れ!死ぬ時は踏ん張るな!わきまえるべきとも言われていました。
人は100%死ぬのであって、生きている時に何をするかが大事。死なせないことに力を入れ、お金をかけることは大事ではないと話されていましたが、それは死と向き合われた方の言葉だと痛感しました。
健常者側の人間にとって、それを考えることはなかなか難しいのかもしれません。

 

「死」は人生最後の見せ場だそうです。余命宣告を受けたら死に時を考えるべきで、人生をどう完結させるかがとても重要なのだそうです。

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義妹が2年前に乳がんで他界しました。7年前に乳がんが見つかり、手術、治療をして4年が経ったある日、骨に転移が見つかりました。彼女は、父が癌で、病院でのとてもつらい最後を見ていたので、抗がん剤治療は拒否しました。
自宅で家族と普通の生活を行い、友達とお芝居やコンサート、旅行や食事に出かけていました。やがて調子を崩し、病院に行く前日には髪を洗い、当日は自分で車に乗り込み、病院に入院してから急激に悪化し、翌日の早朝に亡くなりました。

抗がん剤拒否をした彼女の気持ちを私は理解できました。最後まで彼女は、きれいなままで、望むように大切な人に囲まれて生活をした後に、静かに逝ったのです。
私は彼女の最後はとても素晴らしいと思っています。ただ、周りの人達は彼女の不調を誰も知らずに、いつも元気な様子だったので、ただただ驚くばかりでした。

 

私も同じように、癌と宣告されれば何もしない選択をするつもりでいます。病院で縛られているより、少しでも大切な人たちとの時間を過ごしたいと思っているからです。
現時点では、余命宣告をされれば私はそれを隠さずに伝えたいと思います。そして、大切な人との時間を過ごして悔いないように人生を閉じたいとは考えます。

 

あの世に逝く力」は、これからつけていかないといけないと感じています。
たぶん健常者として考えるのと、当事者になるのとは違うと思います。落ち込んだり泣いたりするのかもしれません。ですが、死生観を自分なりに持っていると、少しは悔いなく人生を完結できるように思っています。

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